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藤田嗣治の代表作品


5人の裸婦



カフェにて



東京国立近代美術館より

藤田嗣治とは?

明治19年、東京の医者の家に4人兄弟の末っ子として生まれた。
子供の頃から絵を描いていて中学を卒業する頃にはフランスへの留学を希望した。
父の軍医として先輩の森鴎外の薦めで東京美術学校に入学するが、当時日本画壇を支配していた印象派や写実主義などに失望し、卒業後も文展などでは落選していた。
大正2年、渡仏し、モディリアーニやピカソ、アンリ・ルソーなどと交友を結んでいた。
パリではすでにキュビズムやシュールレアリズムなど新しい画風が登場しており、日本と違う自由さ、奔放さにひかれすべてを捨てパリで生活をすることにした。
第一次世界大戦後、フランス人モデルと結婚しこの頃から絵が売れ始めて個展を開くまでになった。
独自の技法から独特の透き通るような画風をあみだし、一躍パリの寵児となり、「寝室のキキ」という裸婦像は多くの人々を魅了して彼が絵をサロンに出すたびに黒山の人だかりができた。

1931年、個展開催のために中南米をまわって帰国して二科展などに出品し、第二次大戦中には戦争画も描いた。
戦後は戦争協力の罪を着せられ嫌気がさして日本を離れフランスに移り、やがて帰化して再び日本の地を踏むことなく亡くなった。
「私が日本を捨てたのではない、日本に捨てられたのだ」と語ったようにパリで成功したのちも戦後も日本社会から認めてもらえなかったが、近年ようやく回顧展が日本でも開かれるようになった。

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